北越海岸之景 北陸道御巡幸之図
ほくえつかいがんのけい ほくりくどうごじゅんこうのず
概要
周延(※1)の3枚続の大判錦絵である。右に表題と「周延筆」、「定価六銭」、「上野北大内丁十一番地/画工 橋本直義(※周延の本名)」、「馬喰丁三丁目一番地/出板人 佐藤新太郎」、「明治十一年/九月十四日/御届」とある。
明治11年8月30日から11月9日まであった明治天皇の北陸・東海道御巡幸(※2)のうち、現富山県東部の海岸沿いを進む場面が描かれていると思われる。右の急峻な山を「親不知・子不知」と見ると、富山県に入ってすぐの宮崎、泊(明治11年9月28日宿泊地)あたりかと思われる。
前衛の騎馬に続き天皇の乗る馬車、その右の馬車は右大臣・岩倉具視であろうか。右下の左の少し、群衆も描かれている。
「明治錦絵」18点のうち。
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※1.橋本周延 はしもと-ちかのぶ
1838-1912 幕末-明治時代の浮世絵師。天保9年8月8日生まれ。歌川国芳,3代歌川豊国,ついで豊原国周(くにちか)にまなぶ。美人画にすぐれ,江戸城大奥の風俗画や明治開化期の婦人風俗画などで知られる。大正元年9月29日死去。75歳。越後(新潟県)出身。名は直義。別号に楊洲。作品に「真美人」36図,「大川渡し舟」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
※2.北陸東海御巡幸
明治元年の王政復古により、天皇主権の近代国家が誕生しました。そこで天皇の権威と維新政府の威信を示すために、明治5年以降6回にわたって明治天皇の全国巡幸が行われました。北陸地方へは明治11年に訪れています。8月30日に東京を出発した天皇は、9月28日に越後側から越中入りし、泊(とまり)町・魚津でそれぞれ一泊し、30日に富山の行在所(あんざいしょ)(宿泊所)である中田清兵衛宅に到着しました。翌10月1日に神通川に架かる舟橋を板輿で渡りました。行列はすべて西洋式の洋服・馬車、掲げられる菊の紋章。着物姿にまげを結っている民衆にしてみれば、すべてがもの珍しくさぞ驚いたことでしょう。天皇はその後今石動(いまいするぎ)に一泊して翌2日に越中を後にしました。
出典 富山市郷土博物館HP「博物館だより 第十五号」平成10年4月16日
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