詩書 榎本武揚筆
ししょ えのもとたけあきひつ
概要
榎本武揚は天保7年(1836)、江戸下谷御徒町で榎本円兵衛の次男として生まれる。通称は釜次郎という。昌平坂学問所に学びつつ、中浜万次郎が開いていた英語塾にも学ぶ。安政元年(1854)、箱館奉行堀織部正利煕の小姓として函館・樺太の視察に同行する。同3年、海軍伝習所2期生に選ばれ、同5年、軍艦操練所教授方出役となる。文久2年(1862)、幕府がオランダに軍艦建造を発注した際に、その監督として留学し、慶応3年(1867)、開陽丸とともに帰国。帰国後、翌慶応4年には海軍副総裁となり、海軍の中心的存在となる。8月に軍艦8隻とともに江戸湾を脱走し、途中仙台で各地を転戦してきた兵士を乗せて10月に鷲ノ木(現森町)に投錨し、26日に五稜郭を占拠し、12月には士官以上の入札により総裁に選出される。明治2年(1869)5月には新政府の攻撃を受け降参した後、明治5年に開拓使に出仕し鉱山開発等を行う。明治7年に全権公使として千島樺太交換条約締結に奔走する。その後、逓信・農商務・文部・外務の各大臣を歴任する。明治41年、73歳で没する。
この書には「健武帯刀前後行籃輿羅網失窓明山川百戦恍如夢獨仰皇裁向玉城就囚赴東京途中作武揚」とあり、東京に護送される際の心境を詠んだものである。榎本の書は晩年のものが多く、箱館戦争に関するものは少なく珍しい。
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