函館新聞綴込一括
はこだてしんぶんつづりこみいっかつ
概要
慶応元年(1865)に函館に渡った庄内出身の伊藤鋳之助は、平田文右衛門、杉浦嘉七、常野正義、渡辺熊四郎らと共に、明治4年(1871)4月に北溟社(ほくめいしゃ)を設立して、新聞発行の準備をすすめた。
社長には渡辺熊四郎が就任し、開拓使函館支庁の印刷機械を借りて、明治11年1月7日に待望の第1号が発行された。この函館新聞が、北海道に於いて民間から発行された最初のものである。
創刊当時の函館新聞の紙面はタブロイド判であり、官令、開拓使録事、雑報、投書、物価や海産物の相場などが掲載されている。定価は1部1銭2厘、1ヶ月の購読料は7銭で、当時の米価に換算して米1升4合文であった。はじめ3,000部を印刷して、購読しそうな人に配達し、2、3ヶ月ごとに集金に行くという方法で購読者を集め、その数も2,000名に達したといわれている。その当時人口が31,000余人の函館としては、相当の発行部数といえる。最初は5日ごとに発行、半年目から隔日となり、明治18年には日刊となり、明治22年6月から誌面はブランケット判になる。明治31年に函館毎日新聞と改題され、昭和12年(1937)10月1日まで続刊された。
渡辺熊四郎の子孫が明治11年1月7日の第1号から同22年5月31日までを、ほぼ完全な状態で保存している。
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