アイヌ絵巻
あいぬえまき
概要
富岡鉄斎(1836~1924)は京都の法衣商の家に生まれる。国学、漢学、神学などを修めた学者としても知られ、40歳代から神社の宮司も務める。はじめ大和絵、のちに南画を学び、明治29年(1896)に日本南画協会を組織している。京都市美術工芸学校教員を務め、大正6年(1917)に帝室技芸員、大正8年には帝国美術院会員となる。
鉄斎は明治7年に京都を発ち、東京で松浦武四郎らを訪ねた後、7月に函館港に到着した。まず、函館で薬師山や五稜郭、弁天台場などを巡覧し、森から舟で室蘭に渡り、苫小牧へと海岸沿いを進み、千歳・札幌方面を北上し、小樽・余市・積丹を回って岩内を南下し、黒松内を抜けて長万部から森、函館と20日間かけて一周している。その後、函館で10日間を過ごし、帰途についている。
鉄斎の「北遊日記」には、絵巻の「土人逢雨於?冬葉代傘」の場面と対応するような「(札幌)此辺款冬(ふき)の大」や「(ワシベツ)此辺夷家あり」などの記述がある。巻末には明治18年に詩人の鱸松塘(すずきしょうとう)が、この巻物は鉄斎が描いた「蝦夷群聚図」であり、6、7年前に鉄斎が彼の地で目撃したものだと記している。しかし、すべてが実際に見聞したものではなく、「蝦夷土人拝礼」などのように蝦夷地に関する書画の写しを基にしていると考えられる場面もある。
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