b) 内容説明及び目録 | 姫路城の指定建造物は、以下に述べるように、17世紀初頭の一連の軍事施設として歴史的配置を維持するとともに、芸術性の高い優れた意匠になるもので、世界遺産条約第1条の建造物群に該当する。その82棟の国宝・重要文化財指定建造物目録は、付属資料6にある。 指定建造物の大部分は、池田輝政時代の1601年から1609年にかけての建築であるが、西端の一郭の櫓・土塀は本多忠政が17世紀前期に改修したもので、南端の一郭の東端の門は池田時代以前の1599年の建築である。 その建造物群の中心は、屋根を重ねて高くつくった楼閣状の建物からなる天守群である。その周辺には見張り等の目的の櫓、城の防御のための門や土塀が周到な配慮のもとに配置してあり、市中からも遠望できる美しい全体の姿が構成されている。 城の中心となる天守群は、内郭の北東よりの最も高い位置に建っている。5層の屋根を重ねた大天守と3層の屋根を重ねた東小天守・乾小天守・西小天守の4つの建物を4隅に置き、それぞれを廊下状の櫓でつないで、四角の形に建物を配置する。 天守群の西南は、天守群にいたる主要通路になっている。この天守群に向かって、城の防御のために徐々に高くなるように地形が区画され、区画の境に土塀が建っている。土塀の途中に門を開く。天守群に到達するには、各門を通過せねばならず、防御の万全を期している。とくに天守群に近い門は、土塀の一部を利用した簡略な形で、城を襲撃する外敵の目をあざむくように工夫されている。 天守群の北側に建つ櫓は、戦争時に城にたてこもる際に必要な食糧等の物資の貯蔵のための建物である。 天守群の東側の道は、わざと曲がりくねって急勾配にし、敵を通りにくくした、城の防御を考慮したつくりである。道をのぼりきった位置には、櫓・門・土塀があり、せめのぼってきた外敵を上から攻撃できるようになっている。 天守群の南の一郭、備前丸は、現在は空地になっているが、もとは城主の居館が建っていたところである。これらの建物は、1882年に火災で焼失した。 内郭の西端の一郭は、本多忠政が整備したところで、現在は外廻りの櫓・土塀を残すだけで敷地は庭園となっているが、もとは城主の居館・御殿が建っていた。この部分の建物は、1874年に軍隊の兵舎設置のため撤去された。 土塀や櫓には、丸・三角・四角の銃眼が開いており、防御を目的とする城郭建築の特徴をよくあらわすとともに、独特の意匠をつくりだしている。 姫路城の建造物群は、すべて木造、瓦葺で、白色の土塀で統一された優美な外観をもつことから、白鷺城の別名をもち、その名でも広く知られている。 付属資料6 建造物目録(6a1,6a2)及び国宝・重要文化財・特別史跡官報告示写し(6b1,6b2) 付属資料7 建築図面 7-1 平面図 7-2 立面図 7-3 立面図 7-4 断面図 7-5 断面図 |