c) 資産の真実性  法隆寺地域の仏教建造物を構成する個々の国宝・重要文化財指定建造物は、歴代管理者の適切な維持・管理によって、意匠・材料・技術・環境のいずれにおいても創建以来の歴史を現在によく伝えている。
 1895年から1985年までの91年間に行われた保存修理事業は、法隆寺地域の仏教建造物を近代的概念としての文化財として国が保存することを決定し、それによって最初に行われた大規模なものであった。この保存事業、とくに第Ⅱ期(1934〜1955)における解体をともなう調査と修理のなかで木造の歴史的建造物の修理の技術が確立した。そこでは、歴史的建造物、文化財としての真正性は次のように保証されている。

i)意匠の真正さ
 各建造物の構造・形式には、近代以前の修理によって改造を加えられた箇所があるが、その多くは補強あるいは便宜的な用途の変更のためのきわめて部分的な変更であって、その建造物の歴史的な価値を表現している平面・構造・内外の立面意匠は創建当時のままである。
 1895〜1985年の保存事業では、建造物の文化財としての価値を損ねている後補部分・後補材の撤去、欠失した部分や部材の復原が行われた箇所がある。しかし、これは材料・技術・各種痕跡の綿密な調査と類例研究の結果をふまえ、それを複数の学識経験者によって構成された修理委員会の討議に基づいて実施したものあって、いささかも推定によるものではない。

ii)部材の真正さ
 法隆寺地上域の仏教建造物に限らず、日本の高温多湿な気候のもとで木造建造物は常に、腐朽・虫害、雨風による劣化・毀損の危険にさらされている。これら毀損した材は、伝統的に建物の構造の健全な保存のために新材に取り替えている。しかし、そうした危険にさらされている箇所は、柱根元・軒先・屋根材料・基礎など、主として周辺や末端部分に集中しており、その取替材部分もほとんどがそこに限定されているといってよいのであって、構造体の骨格的な基本部分と内部には当初材が残存するのが常である。また、日本の木造建造物は多数の同形式・同寸法の材を規格材のように使用することを特徴とし、そのための実際的な規矩・木割の技術が発達してきた。したがって、劣化・毀損しやすい周辺・末端部分の材、たとえば垂木や斗#などでも、当初材が必ずかなり残存している。このような木造建造物の毀損の状況や木造の歴史的建造物を支えてきた規矩・木割の技術は、欠失した部分や材のきわめて正確な復原を可能にする。
 1895〜1985年の保存修理事業では、綿密に部材の毀損状況を調査し、毀損している柱では根継ぎ法で修理し、その他の部材では矧木や継木の技術を駆使し、新材による部材の取替を最小限に止める努力をはらった。やむなく取外した古い部材は、実測図を作成し、詳細な記録を作成し、かつ重要部材は保存庫で保存している。

iii)技術の真正さ
 技術の真正さは部材の真正さと深く関係している。日本には伝統的に解体あるいは半解体という修理法があるが、これは日本の木造建造物が柱・梁による軸組構造であることと並んで、継手・仕口によるジョイント構法であるという事実に裏付けられている。このジョイント構法は、当初の技術や部材を損ねないで、建物を解体し、修理し、組み立てることを可能にしている。この点では、日本の木造建造物は、最初に建てるときから、後の解体修理を予想してつくられているということも可能かもしれない。
 1895〜1985年の保存修理事業では、修理不可能な毀損部材を取替えたり、部材の欠失部分を復原している。その場合、新しい部材に当初のものと同じ樹種を採用するのはもちろん、さらに、当初部材の加工技法を研究し、当時の大工が使った道具(やりがんな)を復原し、これを用いて新部材を仕上げるなど、技術の真正さの保持にも最大の努力をはらっている。

iv)環境の真正さ
 文化遺産に推薦する法隆寺地域の仏教建造物のほとんどは創建当初の位置を動いておらず、周囲の環境とともに良好に保存されている。この建造物の配置状況も重要な歴史資料と認識され、保存が図られている。

 木造建造物は、放置すれば、毀損しやすいことは事実である。しかし、適切な管理と修理を行えば、大きく改変することなくそれを保存することが可能である。法隆寺地域の仏教建造物をふくめて、日本の歴史的建造物の修理事業における部分・部材の撤去や修理に伴う現状の変更には、イコモス国内委員会メンバー多数を含む研究者を主体とした文化財保護審議会における厳密な審査に基づく国の許可を必要としている。


署名
氏名 内田弘保
役職 文化庁 長官
日付 1992年


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