3. 資産の内容
a) 歴史 |
京都は 794年に都城、平安京として建設され、以来、千年以上にわたり日本の首都として栄えた日本文化の中心地である。 そこは東、北、西の三方を豊かな緑の山で囲まれた盆地であり、中心市街地部は内乱や火災でしばしば焼失したが、周囲の山麓山中には各時代の文化資産が蓄積してきた。また、16世紀末以降の資産は中心部においても火災を逃れたものが残っている。 推薦する“古都京都の文化財”は、17の文化資産からなる。これらは、古都京都を特徴づける歴史的記念物であり、地域的にも時代的にも古都京都を説明するに足る文化資産群である。 以下に、平安京建設以降の京都の歴史を概述する。(付属資料4 京都の歴史年表参照) 〈平安時代 794〜1184年〉 平安京は政治の一新、飢饉、疫病等社会不安からの解放のため、平城京(710〜784)から長岡京(784〜794)を経て、 794年に京都盆地の北半に造営された都城である。この地は、都城にふさわしい地勢的条件を備えた地として選ばれたもので、平安京は唐の都長安等の古代中国の都城を規範に、東西4.5km、南北5.1kmの規模で整然と造営された。 湿潤地であった西側の荒廃、京中の条坊地割を延長した道路整備が行われた白河地区をはじめとする北方地帯の発展など、その形態は変遷していったが、平安時代約400年間にわたって京都は貴族社会の舞台であった。 平安京造営当初を知る資産としては、国家鎮護の宗教施設であるA 賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)、B 賀茂御祖神社(通称:下鴨神社)、C 教王護国寺(通称:東寺)、東山山麓のD 清水寺、平安京の北東いわゆる鬼門に位置し、後に国家鎮護の道場として繁栄したE 延暦寺があげられる。 平安時代前期から後期には、東寺、西寺のふたつの官寺以外は平安京内での寺院建立が禁じられていたため、市中は専ら都市的機能の場となっていた。一方、周辺の山中には寺院が設けられ、風光明媚なところには貴族の別荘が建てられた。 この時期は政治的安定と都市化の進展の中で貴族による王朝文化が栄え、国風文化として洗練されていった。王朝文化の特色はきらびやか、繊細、自然との融合にあり、日本文化のひとつのモデルとして、後の権力者たちの憧れの対象であり続けた。 平安時代前期を代表する資産としては、大規模な勅願寺であるF 醍醐寺、G 仁和寺があげられる。 平安時代末期になると貴族政治の衰退、武士の台頭等により社会は混乱し、加えて、釈迦の死後2000年を経た1052年から末法の世に入り天災地変が頻発するという末法思想の影響もあって、人々は宗教にすがり阿弥陀仏の救いによって極楽浄土への導きを願うようになった。このような浄土思想が文化的に完成されたものがH 平等院であり、その鎮守社としてI 宇治上神社が整えられた。平安時代末期から鎌倉時代にかけては、浄土教普及の一方で旧仏教の巻き返しや宋からもたらされた禅宗の摂取も進んでいった。 図 9世紀初頭(平安京造営当初)の資産の分布 |