c) 保存修復の歴史 ii)庭園に関する近代以降の保存修理

 日本はモンスーン地帯に位置するため台風の被害が少なくなく、また、樹木の旺盛な成長等によって、長年のうちに石組み等に緩みが生じるなど修復が必要とされる場合がある。
 庭園の近代的な保存修理は、1919年の「史蹟名勝天然紀念物保存法」の制定以降、国の事業として取り組まれるようになった。
 なお、同じ年には「都市計画法」も制定され、都市環境の改善において庭園を含む公園緑地整備の必要性が重視されるようになっていた。
 それ以前は、庭園の保存を強く訴えた庭園史研究家によって、庭園に関する史料の徹底した蓄積・保存が行われ、また、大学における造園学の進展を通して、専門技術者による実測図面の作成を含む全国的な分布調査が行われるなど技術の蓄積の時期であった。

 「史蹟名勝天然紀念物保存法」による保存修復は、指定した庭園についての現状凍結保存を基本方針としており、指定地の実測、標識、境界杭の設置のほか、緩んだ石組みの締め直し、泥土の浚渫など現状凍結のために必要な最小限の措置が行われていたにすぎない。
 昭和(1926〜1989)に入ると庭園を積極的に修復・整備しようとする動きが始まり、1929年から1934年にかけて慈照寺庭園で断続的に行われた発掘調査・整備の成果は、庭園の保存修復のあり方として現状凍結保存措置以外に学術調査に基づく復原整備という方法があることを示した画期的なものであった。
 さらに、1950年に「文化財保護法」に引き継がれるが、第二次世界大戦の影響で庭園の管理が疎かにされていたうえ、戦後の復興期から高度経済成長期にかけての急激な都市開発により、文化財庭園をめぐる社会環境は悪化していた。
 しかしその一方で、学問、産業の発展は庭園の保存修復技術を格段に進展させることとなった。特に以下の事項は重要である。
(1)写真測量等の技術開発によって、保存修復計画の基礎となる庭園の実測図の精度が高まったこと。
(2)発掘調査技術の進展が遺構の変容過程の詳細かつ客観的な把握を可能にしたこと。
(3)樹脂注入による景石の補強、護岸保護のための補強工法、池底の漏水防止工法など、保存科学に関する技術開発がなされてきたこと。

 1965年からは、史跡整備事業が文化庁の補助事業となり、文化財庭園の保存修理事業は、高度な発掘調査や測量技術を駆使して以下のような内容で行っており、庭園の保存修理技術を確立しつつある。
 庭園の保存修理はまず、等高線を表示した詳細な実測図面(平面図及び石組についての立面図)を作成し、これを詳細に検討することによって自然の営力による地形の漸次的な変容を把握することから始まる。次いで、これを基本図に、必要に応じて行う発掘調査の結果を古図、文献と照合することによって、作庭時以降に改変のあった部分の実証的な解明を行う。さらに、これらの結果に基づいて保存修復計画を立案し、設計・施工段階へと移るというものである。


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