a) 歴史 iv) 社会制度
 白川郷と五箇山地方の各集落には、近隣の家々で構成される「組」と呼ばれる江戸時代から続く生活上の互助組織があり、現在でも活動している。各「組」内では山道の草刈や水路の塵浚い、除雪、火災予防の夜回り、神社の出役などの、季節ごとの、あるいは日常の作業を共同で行い、または順番で当番を出して互いに助け合っている。また、冠婚葬祭や家屋の普請、茅葺き屋根の葺替え時などには「ユイ(結い)」や「コーリャク(合力)」と呼ばれる相互扶助の伝統的な慣習があるが、これも「組」を単位として行われている。
 このような社会制度が生まれ、維持されてきたのは、厳しい自然条件下の、生産性の低い山間の土地で生きるためには、相互扶助が不可欠であったからであるが、その背景には同じ浄土真宗の信仰による精神的な強い結びつきがあったことも指摘されなければならない。
 なお、白川郷と五箇山地方のいくつかの集落では、かっては10数人から30人に及ぶ一族が1軒の家屋に住む大家族制度が存在した。この制度は、家長夫妻とその弟姉妹および結婚した姉妹の子供、家長の長男夫婦とその弟姉妹などが分家しないで数世代にわたって共同生活を営むもので、日本ではこの地方独特の制度として学術的にも注目されたが、現在では消滅している。白川郷と五箇山地方の中でも耕作地の少ない、より条件の厳しい集落で生じた制度であった。

v) 民俗
 白川郷と五箇山地方は、特別な地理的条件と気候的条件に加え、前述したように、山村における農業以外に塩硝や和紙の生産、養蚕と製糸などの多様な生業が営まれていた。また、信仰的にも浄土真宗の布教の歴史上において由緒深い地域であり、いまだに地域の人々は篤い信仰で結ばれ、日常の生活の中に信仰が生きている。
 このような地域であるために、日常の生活用具をはじめ、塩硝や養蚕の生産用具などの民具、農耕や宗教に関する諸種の祭礼や行事、これに伴う歌謡や舞踊などの、民俗に関わる多種にわたり、かつ、たいへん特色的な文化財と資料が保存され、また、現在でも伝承されている。


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