・オムサロ台地竪穴群は紋別市の中心から海岸沿いに北西7キロメートル、オムシャリ沼と渚滑川の間の、標高10~15メートルの海岸段丘上にあります。段丘の前面には、渚滑川の川跡が沼状に残っており、昔は遺跡の下を渚滑川が流れ、川や海の幸、そして山の幸に恵まれていた所にあります。
・現在でも埋もれきらないで、竪穴住居の跡が、北側からA遺跡60軒、B遺跡57軒、C遺跡91軒、合計208軒あります。縄文時代の早期から続縄文時代、オホーツク文化期、擦文時代、中近世のアイヌ文化期と、一万年もの間とぎれることなく各時代の住居跡やお墓などが残されています。特に擦文時代の四角い竪穴住居の跡が多数確認できます。
・オムサロ遺跡公園として、オムサロ台地竪穴群南端のC地区を中心に、約千年前の擦文時代の様子を再現しています。園路沿いに竪穴住居や高倉が復元され、アイヌ民族が食用としたオオウバユリ、エゾエンゴサクなども植えられています。