・宝暦年間(1751~1764)の本茅部一帯(茅部場所)は、鯡の大豊漁が続き、地元茅部漁民のほかに箱館、亀田、上磯等からも多数の出稼ぎ漁師がきて、沿岸の鯡漁業は盛況を呈しました。
・当時は、加工製造技術が遅れていましたので(天日乾燥の丸干し、開き、身穴、数の子)、漁獲した鯡の大部分は処理できずに放置されたままになっていました。
・そのため、宝暦7年(1757)、函館の人佐藤彦左衛門を中心に心ある人々がこれを土中に埋めて塚とし、その上に塔を建てて盛大に鯡の慰霊法要を行いました。
・本道の開拓漁業史上、鯡のみを祀る道内唯一の貴重な供養搭として、森町に誇る文化財です。