旧閑谷学校 講堂 しずたにがっこう こうどう

建造物 近世以前その他 / 江戸 / 中国・四国

  • 岡山県
  • 江戸中期/1701
  • 桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺
  • 1棟
  • 岡山県備前市閑谷
  • 重文指定年月日:19380704
    国宝指定年月日:19531114
  • 国宝

旧閑谷学校講堂 一棟

 閑谷学校は寛文六年(一六六六)岡山藩主池田光政が領内庶民子弟教育のためはじめたもので、光政自身巡検でこの地の閑静を愛で、津田永忠に命じて同八年手習所を設けて発足した。永忠は食堂・学房・講堂・聖堂などを建てて施設の充実を計り、延宝三年(一六七五)には同時期に開設した諸郡の手習所を廃止して閑谷へ統合した。しかしこれらはなおお粗末であったので、さらに貞享元年(一六八四)に新聖堂、同三年に烈祠堂を建て、講堂も元禄十四年(一七〇一)に再築、上棟した。これが現在の建物で、この年四周の石塀も築かれている。講堂・小斎・習芸斎・文庫が集中する学舎を中心に、東の小高い位置に聖廟と芳烈(現閑谷神社)を並列し、西方には小丘をへだてて学房(県現教育センター)を配した構成は、郷学とはいいながら当時の藩学をしのぐ規模をもち、江戸時代の学校建築としては最古かつ最もよく整った遺構である。
 講堂は三間×二間の母屋の周囲に広い庇をめぐらし、その外に幅一・七メートルほどの縁を設けた形で、縁は外周に柱を立て通常は吹放しで夜間のみ雨戸を閉じる。母屋、庇とも同高の拭板敷で、境に無目敷居を入れる。庇の外周は各面とも中央だけ扉で他は大きな花頭窓を並べ、学校建築らしい清々しさと儒教的雰囲気をもつ。屋根は錣葺で二段に葺くが、全体の規模が大きく妻飾も塗籠るので、城郭内の館のごとく堂々とした外観である。瓦を備前焼とし、野地に厳重な防水施工をするのは他に例がなくめずらしい。

【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)

旧閑谷学校 講堂 しずたにがっこう こうどう

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