銀板写真(石塚官蔵と従者像)〈エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影/一八五四年〉 ぎんばんしゃしん(いしづかかんぞうとじゅうしゃぞう)〈えりふぁれっと・ぶらうん・じゅにあさつえい/せんはっぴゃくごじゅうよねん〉

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸

 ペリー配下の写真師エリファレット・ブラウン・ジュニアの撮影にかかる石塚官蔵【かんぞう】と従者三人の集合写真である。
 被写体である石塚官蔵は松前藩士で、嘉永七年(一八五四)の撮影時、箱館で松前勘解由の配下としてペリーとの応接にあたった。画像はきわめて不鮮明であるが、劣化進行以前に作成された複製によりその画像を知ることができる。それによれば、中央に羽織・袴姿の官蔵が椅子に座り、背後向かって左に羽織・股引で笠を持つ男と、中央に草履を持つ男、右に槍を持つ男が控えている。
 本件の銀板はハーフプレートで、右下にブラウン・ジュニアの刻銘「E.Brown Jr/Hakotadi/Japan/1854」があり、撮影者、撮影地、撮影時期を裏づける。銀板写真を納める化粧箱の装飾は、表裏ともに中央に楕円を置き、周囲を花卉文で飾り、さらに唐草文を配し、周縁に金箔を押して施文する。なお、化粧箱の蝶番は破損しているため、蓋部分と身部分とが分離している。
 化粧箱の底には、鉛筆で「E.Brown Jr./Daguerreotype Artist/U.S.Steam Frigate Porhatan/Hakotadi/Island Jesso/Japan/June 1st 1854」と書かれた添状が一通貼られている。また、「Presented by Commodore M.C.Perry/Hakodadi,Yesso/June 1st 1854.」とインク書され、その下部に「此日影像/亜国提督被理呈贈/石塚官蔵/甲寅五月初六日」と墨書された洋紙の添状一通も別途附属している。さらにペリー一行に同行した通訳のウィリアムスと羅森【らしん】が書いた扇面一幅が伝えられており、これらをともに附としてあわせて保存を図る。
 本資料は画像は不鮮明ながら、撮影にかかる歴史の明らかなものであり、写真技術の黎明を飾るダゲレオタイプの技術により、外国人が日本国内で日本人を撮影した現在確認される現存最古の写真の一枚として、また幕末開港交渉というわが国の歴史上に重要な事象を跡づける遺品として、写真史および対外交渉史上貴重である。
 なお、本資料は子孫である石塚家に伝えられ、現在は函館市に寄託されている。

銀板写真(石塚官蔵と従者像)〈エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影/一八五四年〉

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