オーケストラ
Orchestra
1933年
北海道立三岸好太郎美術館蔵[D-18]
三岸好太郎は1933(昭和8)年、オーケストラの演奏風景を描いた一連の作品を制作した(当館蔵の50号[O-59]、宮城県美術館蔵の50号、焼失した〈新交響楽団〉100号ほか)。それらの油彩画の制作のための準備素描が数多く残されている。そこでは各楽器の演奏者ごとの描写や、指揮者の複数のポーズを描き込んだり、手の動きの軌跡を線で示すなど、演奏の動的な情景を表現するためのシミュレーションも行われている。また、指揮者を正面からとらえたものや、最後列のコントラバス奏者を後ろから描いたものもみられ、三岸が客席から見た情景ばかりでなく、舞台裏にまで入ってデッサンしていたことが推測できる。コントラバス奏者が支えに使用した三角の台(通称ヤマ台)や、簡略ながら描き込まれた天井などがみられるものもあり、日比谷公会堂の特徴を示すという。こうした素描は、鉛筆による簡略なスケッチ的なものから、コンテやクレヨンを用いてのもの(当館蔵D-13~21など)まで、様々な段階のものがみられる。〈ひっかき〉の手法を駆使した油彩画〈オーケストラ〉は、一見即興風にも見えるが、その制作にむけては、三岸が現場やアトリエで入念な準備を行っていたことがうかがわれる。