旧富岡製糸場 きゅうとみおかせいしじょう

史跡 / 明治 大正 昭和以降 / 関東

  • 群馬県
  • 近代
  • 富岡市富岡
  • 指定年月日:20050714
    管理団体名:富岡市(平17・11・1)
  • 史跡名勝天然記念物

 旧富岡製糸場は明治5年(1872)、明治政府が殖産興業政策の一環として設立した官営模範工場で、近代製糸業の成立と発展に大きな役割を果たした生産施設である。幕末、開港により始まった貿易では、蚕の微粒子病が流行して欧州での生糸生産が激減し、諸外国からの日本の生糸・蚕種の需要が高まったが、生糸・蚕種の粗製濫造を招き、その品質向上が急務となった。富国強兵・殖産興業政策を掲げた明治政府は、主要輸出品である生糸の輸出振興と品質向上を意図し、技術者を招聘して、在来の座繰製糸に代わる洋式の器械製糸技術を導入した工場を設立し、全国に模範を示そうとした。
明治3年、政府はフランス人技師ポール・ブリューナを傭聘し、工場を設立させることとした。ブリューナは翌年渡仏し製糸器械一式を購入し、同時にフランス人の生糸検査人、工女を雇い入れ帰国した。工場の場所として、江戸時代から養蚕業が盛んで優良な原料繭が確保でき、輸出地である東京・横浜から遠くなく、製糸に必要な用水が確保でき、広大な元代官屋敷地が残って取得が容易であった岩鼻県富岡町城(現富岡市)の3町余の平坦地が選ばれた。
製糸場の設計は幕末、横須賀製鉄所建設に関わったフランス人バスチャンが当たり、明治4年3月に着工、建設には妙義山の杉材や吾妻の松材等を用い、瓦・煉瓦は富岡の東方福島にて焼成するなどし、明治5年7月に至りほぼ完成をみた。設立当初頃、東置繭所・西置繭所(2階建て切妻桟瓦葺、木骨煉瓦造、フランス積み)、繰糸所、煮繭所、蒸気汽罐所、鉄水槽、排水溝等の製糸に関わる施設、外国人用官舎や日本人工女用寄宿舎等の施…

旧富岡製糸場 きゅうとみおかせいしじょう

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