安芸のはやし田 あきのはやしだ

民俗 無形民俗文化財

  • 指定年月日:19971215
    保護団体名:安芸のはやし田連合保存会 新庄郷土芸術保存会 原田はやし田保存会
  • 重要無形民俗文化財

 田植時に、歌を掛け合い、楽器を囃したてながら苗を植える芸能は、これと同類の光景が中世の絵画資料などに描かれたりしている歴史的に重要なものである。これが今日、広島県ほか中国山地に命脈を保ち伝承されている。そのうち安芸のはやし田は、広島県の山県郡、高田郡の安芸方面に伝えられているもので、備後方面のもののように牛馬の供養を主目的として執り行われるものと趣を異にしたところがある。
 安芸のはやし田は、今日、田植時(五、六月)の休日に、定められた田圃【たんぼ】で執り行われている。その次第は概ね次のようである。飾り牛が一列縦隊となって泥をはねながら田圃内を踏み歩く「代掻【しろか】き」、その後田面【たおも】を平らにならす「えぶり」、早乙女【さおとめ】や楽器奏者などの一行が神社または田主【たぬし】の家から行列して田圃に行進してくる「道行き」、さんばい棚【だな】と呼ばれる祭壇の前での「田の神降しの神事」、その後「苗取」「田植」と進められる。行事の中心となる「田植」は、早乙女たちが綱の前に横一列となり、後ろ下がりで苗を植えていく。その際、早乙女たちに面して立ち手に摺りざさらを持ったさんばい(歌大工ともいう)との間で歌が掛け合わされる。歌には、役歌・朝歌・昼歌・晩歌と田植次第の進行時刻に応じて種々の内容のものがある。早乙女たちの後方では、大太鼓(胴ともいう)・小太鼓(鼓ともいう)・鉦などの楽器の奏者が盛んに囃したてる。そして所定の面積を植え終わると終いとなる。この安芸のはやし田は、伝承地によって多少の違いがあり、またそれぞれ特徴をもっている。大朝町新庄の場合は、県北の寒冷地での田植であることから苗の密植が行われ、田植歌の歌い方のテンポが速く八調子といわれる(南の方へいくとテンポの遅い六調子が多くなる)。高宮町原田の場合は、深田【ふかだ】地帯の田植であるため作業に合わせた歌い方になっているとともに、短詩形の歌詞を歌大工と早乙女とが複雑なやりとりで展開する。なお、「代掻き」に使われる牛は、農作業のほとんどが機械化されているため、その調達が難しくなっている。
 安芸のはやし田は、文政二年(一八一九)の『芸藩通志【げいはんつうし】』に提出された資料、「国郡志下調帳【こくぐんししたしらべちよう】」に記載されているのとほぼ同様の形式で行われており、「法然上人絵伝【ほうねんしようにんえでん】」や「大山寺縁起絵巻【だいせんじえんぎえまき】」などの中世資料などでつとに知られていた形態のものである。田楽系芸能の変遷の過程を知るうえでとくに重要な伝承である。また備後地方のものとは、神事のやり方や歌詞の展開のさせ方に違ったものをもつ地域的特色の顕著なものである。

安芸のはやし田 あきのはやしだ

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