豊臣秀吉から朝鮮出兵の命を受けた鍋島直茂(1538~1618)は天正20年(1592)4月に朝鮮へ渡海。同じ二番隊の加藤清正らと軍を北へと進め、一時は朝鮮北東奥部の咸鏡道にまで侵攻した。国内の秀吉は滋養効果のある虎を求めたため、諸将は競って虎を入手し秀吉に贈った。本状は秀吉から鍋島直茂に発給された朱印状。虎についての指示を受けた直茂が「狩取りの皮・頭・骨・肉・肝胆」などを秀吉の送り届けたことに対する礼状である。直茂自身が鑓を手に虎を捕獲したというよりも、「早々に申し付け」て手配したのである。同月9日付けの秀吉朱印状にも「先度虎の頭儀、仰せ遣わされ候の処に、早々到来、悦び思召し候」とあり、直茂が続けて贈った虎の頭への礼が述べられている。ただ、文禄4年(1595)とされる別状では「虎の儀仰せ遣わされ候の処、即ち一肉骨腸以下色々取り揃え、入念到来、別て悦び思召し候」と礼を述べた上で、「この上、入らざる候間、狩り仕事一切無用に候」と虎狩りの停止を命じている。