侯爵鍋島直大が後年に自ら編集した自作の和歌集で、没後の昭和3年(1928)に直大長男の12代直映により印刷・頒布された。表紙および裏表紙の天地に唐草と鍋島家の家紋杏葉紋を配している。口絵には梨本宮守正王・伊都子(直大二女)夫妻の書のほか、直大所用の雅楽譜などが掲載されている。
表紙には琵琶と箏が描かれているが、直映の跋文によれば「(直大は)雅楽を嗜みて此の道を奨励して倦む所を知らさりき。父性閑雅、少壮の頃より国風を嗜み遺詠数千首の多きに及ふ。固より忙中の餘儀唱すへきなしと雖、或は花鳥風月に対し、或は名勝旧蹟を探り、物に対し時に随ひ何等の潤色を施さす、心に思ひ浮ふままを三十一文字に連ねしものなる」と述べ、「今其十一を集録して近親旧友に頒たんと」したものである。