明治13年(1880)に鍋島直大と婚約した廣橋栄子。すでに特命全権公使に任じられていた直大との婚約は、すなわち夫人となる栄子の海外移住も意味していた。直大の出国後に国内で必要な素養を身に着けるなどした栄子は遅れて翌年四月にローマへ到着する。
この短冊は出国直前の時期のもので、名残りを惜しむ人々に対し、いかに遠路の旅であろうとも、すぐにまた帰国するからとの声を残している。ローマに到着した栄子は日本公使館で直大との結婚式を挙げた。
此たひ伊太利舎の国へ行ニ、人々名残をしミてよめる哥のかへし
幾千里 へたて行とも つか間に なミ立かへる ほとをまたなむ