絹本著色千利休像 けんぽんちゃくしょくせんのりきゅうぞう

絵画 / 安土・桃山

  • 大阪府
  • 桃山 / 1561
  • 1幅
  • 大阪府泉北郡忠岡町忠岡中2-9-26
  • 重文指定年月日:19960627
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 公益財団法人正木美術館
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 図の上部に「利休宗易禅人幻容」と題した大徳寺の僧、古渓宗陳【こけいそうちん】の賛があり、宗陳の語録である『蒲庵稿』にも収録されている。賛は天正十一年(一五八三)八月下旬に描かれており、本図は千利休(一五二一-一五九一)の生前の姿を描いた画像として貴重である。天正元年に宗陳が大徳寺住持になった際、利休は抜群の百貫文を寄進するほど二人の結びつきには強いものがあった。
 著賛【ちやくさん】時に利休は六十三歳であったことになる。前年に織田信長が没し、この年四月に柴田勝家が滅んでまさに秀吉が天下人になった時期にあたる。この年七月の大坂城での最初の茶会に利休は宗及とともに出仕している。
 「利休」の号は天正十三年の禁中茶会のおりに勅許されたとするのが一般的であるが、不審庵本に賛を書いた春屋宗園の語録である『一黙稿』には、それより先に宗園、宗陳の師である大林宗套【だいりんそうとう】(永禄十一年=一五六八没)が利休号を授けたという。本賛の冒頭にはすでに「利休」の号が明記されており、後者の説を支持する史料でもある。
 遺像である不審庵本の穏やかな表情とは対照的な、鋭い目つきの精悍な表情の描写には見るべきものがあり、桃山時代の著名人のすぐれた肖像として注目される。

絹本著色千利休像

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