伊能忠敬(1745~1818)は、上総国山武郡の人で江戸時代中期の測量家、地理学者として知られる。
忠敬は、高橋至時の門下となり、天文学、測量術を学び、寛政12年(1800)閏4月に奥州街道および蝦夷東海岸の測量に着手し、文化13年(1821)の江戸府内の測量までほぼ17年をかけて日本沿岸を実測した。
本件は、近時の調査によってその全容が確認されたもので、内容からみて次の3種に大別される。
まず「日本沿海輿地図」であるが、これはいずれも着色の中図(注・大図は3万6千分の1、中図は21万分の1、小図は43万分の1の縮尺)で、現状は仮巻の状態で保管されており、蝦夷地を2鋪、東北、関東、中部・近畿、中国・四国を各1鋪、九州を2鋪の計8鋪を存しており、この種の図としては最善本として知られ、近時、複製本が刊行された。
次いで「蝦夷地図」であるが、これは蝦夷地に関する着色の測量図9鋪(大図7鋪、小図2鋪)で、その内容は、現在の上磯郡知内より山越郡八雲町を収める第1図のほか、江戸浅草暦局から東蝦夷地までの路程を収めた「日本地ヨリ蝦夷地合図」までを現存している。
いずれも体裁は製作当時の折装で、他に現存する伊能図の多くが改装されていることから、本図は製作当初の姿を今に伝えるものとして貴重である。
また、この「日本地ヨリ蝦夷地合図」には、「寛政十二年庚申十二月 伊能勘解由謹図」の識語がみえ、本図作製の経緯等がうかがわれることは注目される。
そして「九州沿海図」は、都合23幅を存している。体裁は掛幅装で、各図ともに着色を施し、大図21図、中図1図、小図1図を揃えている。
「九州六箇国沿海図」2幅(中図、小図)を除いては、いずれも大図であり、大・中・小図を揃え、このように九州各地をあわせ存することは他に遺例がない。
伊能忠敬の関係資料としては、すでに昭和32年2月19日付で重要文化財に指定されているが(平成22年6月29日付で国宝に指定)、これらはいずれも伊能家に伝来したもので、そのうち測量図は27種を存している。しかし、なぜか蝦夷図は1点(日本沿海輿地図のうち、蝦夷地・下)しか含まれておらず、九州に関してはまったく伝存していない。
東京国立博物館保管になるこの伊能忠敬測量図の伝来について触れると、「日本沿海輿地図」は豊橋藩主大河内家の旧蔵になるもので、昭和22年に同家から寄贈を受けたものである。
また「蝦夷地図」「九州沿海図」は、本図に捺される「浅草文庫印」に鑑み、明治8年(1875)に浅草蔵前に開館された官立図書館の保管を経たことがうかがわれ、その後、明治22年に旧農商務省博物館図書課から東京帝室博物館歴史部に引き継がれ現有に帰したことが判明している。
本件の伊能忠敬測量図は、たんに既指定の欠を補うにとどまらず、伝来経緯が明確であるとともに日本沿海輿地図のほか、忠敬の地図測量にかかわる中核ともいえる蝦夷地図・九州沿海図がこのようにまとまって現存していることは他に遺例がなく、わが国の測量図研究上等に注目される。