寺院の正月に修される法会を修正会と称し、その結願の日に鬼追いの行事を伴うものが近畿地方や九州北部地方にみられる。竹崎のこの行事もその一つであるが、その際に童子舞という他に見られない芸能(中世以前のおもかげをとどめた古風なもの)が演じられ、又、祭りの運営に携わる若者組の組織も厳重である。さらに山から伐り出してきた若木を地に打ちつけるという次第があったり、あるいは、童子舞の稚児の移動には足を決して地につけないなど行事全体に古風な民俗がとどめられている。芸能史的にも民俗学的にも極めて価値の高い修正会の行事である。
一月五日、朝、山から樫の若木を伐り出し(大聖棒【だいしようぼう】と称しているが他の地の牛王杖【ごおうづえ】に相当)、諸準備の後、夕方から翌六日にかけて「初夜の行」、「後夜の行」、「日中の行」と執り進められる。夕刻七時頃、境内下方の宿から一同行列を整えて観音堂にのぼり、「初夜の行」を行う。
堂内で院主(法印)が種々のお経を唱えた後、フレイ経となり、この経の最後に童子二人がホラ貝の中の種籾をこぼしつつ舞う次第がある。一旦一同宿に帰り、裸の若者たちによる盛んな胴上げがあって小休止する。六日早朝一同また列を整えて観音堂へのぼり「後夜の行」を行う。初め堂内にて「初夜の行」と同様なことが行われ、その後二人の童子が大人に抱きかかえられて境内へ出、そこで数曲舞う(各曲ごとに童子は抱きかかえられて堂から出たり入ったりする。「天狗拍手」「ヒザツキ」「ビシャラモンポ」「鉾突き・翁」「青蓮華・赤蓮華」「五大忿怒王」の順で演じられるが、足で地を踏みつける反閇【へんばい】の所作をはじめ全体に呪法的色合いの濃い動きである)。この間、二度大聖棒の束が打ち切られて多勢が各棒を奪い合う。童子舞の後、境内を所狭しと走り回る若者多数による鬼追いの次第が展開される。六日の午後、「後夜の行」とほとんど同じことが繰り返されて(「日中の行」)終了となる。