松本平野の東南に見られ、弘法山と俗称される丘陵の先端に所在する前方後方墳である。墳丘の主軸は丘陵の稜線と合致させ、西に前方部、東に後方部をおき、よく前方に松本平野を一望しうる好位置を占めている。墳丘は長さ63メートル、後方部の幅は33メートル、高さ4メートル、前方部は幅26メートル、高さ3.5メートルを算えるが、比較的強い傾斜稜線上に立地するため、後方部の比高はきわめて高いものがある。墳丘上には埴輪円筒列を見ないが葺石は顕著である。後方部の中央には主軸と直交して竪穴式石室を思わせる一種の礫槨が発見された。南北6.6メートル、東西5.45メートルを測るが、中央に木棺を収めた竪穴式石室状の構造が見られる。内部からは、北壁、あたかも被葬者の頭上に当る位置から鉄斧が発見されたほか、鏡、銅鏃、鉄鏃、鉄剣、ガラス小玉などの副葬品がみられた。立地、墳形、石室構造、副葬品から推察して現在長野県下における最古に属する一群の古墳の1つと考えられるものであり、また、早い時期におけるこの地域への古墳文化の受容なり導入を示す資料としてきわめて重要な意義をになう古墳である。