平城宮跡 へいじょうきゅうせき

史跡

  • 奈良県
  • 奈良市佐紀町・二条大路南・法華寺町
  • 指定年月日:19221012
    管理団体名:奈良県(大12・12・13)
  • 史跡名勝天然記念物

和銅三年元明天皇ノ奠都以来七十餘年皇居ノ在リシ所ナリ今指定スル所ハ主トシテ大極殿阯ト推定セラルヽ地域及其ノ左右ニ在ル土壇土壘ト覺シキモノノ殘存セル部分トナス當時ノ礎石磚瓦等ノ類亦發見セラル
奈良時代七十余年の間の皇居で、その遺跡として顕著なものは、朝堂院跡とその西につづく内裏跡と認められるところを中心とする地である。朝堂院は南面する大極殿跡の基壇を正面として、その前面に、内に湮滅したところもあるが、朝堂、朝集殿を始めとして廻廊、門等の遺構が存し大極殿の側背にも廻廊、建物の遺構が認められる。また朝堂院の東部にも土壇があり、また北東部に近く、水上池方面から南下する溝の一部があって注意すべきである。
内裏跡は大宮の地字をとどめまた建物の跡と思はれる基壇を遺している。
もとより宮跡の全貌はなお詳でない憾があるが整然たる配置をなす堂々たる殿堂の面影も偲び得られ、奈良時代の政治文化の中心として歴史上に占める意義は大きく、学術上の価値が極めて高い。
S53-12-042[[平城宮跡]へいじょうきゅうあと].txt: 平城宮跡南辺部の既指定地は概ね大垣の線までであるが、、その大垣の外側にある〓(*1)地・溝等、及び朱雀門ほか2つの門跡も一部南側が指定地域外となっている。しかして、最近、数年にわたって回を重ねて検討してきた平城宮跡保存整備基本構想が定まり、今後は逐次実施計画の段階に入りつつあるが、この南辺部の状況は、一部を除いて大部分が水田地帯で地下遺構の遺存度も良好であることが予想され、加えて東一坊大路跡と二条大路跡の交叉地点には橋梁その他の遺構が発掘調査の結果判明しており、平城宮跡を理解する上で重要な地域といわねばならない。
S44-12-026平城宮跡.txt: 平城宮跡はすでに指定(大正11年10月3日史跡指定・昭和11年7月14日追加指定・昭和27年3月29日特別史跡指定・昭和40年6月14日追加指定)された地域に加え平城宮の東面南門の推定地において、この門が左京一坊大路を閉鎖して南に向き、大路はそれより北に進み得ないこと、その東約250メートルの地点に築地の東南隅曲り角が存在し、その内側に園地・遣水・建物などの遺構が存すること、また東南隅より北500メートルの地点に、宮域の東を限る築地の遺構が存することなどが確認され、いわゆる東院地区の範囲がほぼ明らかになったので、築地外の[[〓(*1)地]せんち]・溝をふくめて追加指定する。
S39-06-003平城宮跡(特別史跡).txt: いわゆる方八町の平城宮跡のうち、昭和27年に特別史跡に指定されている部分の西に隣接する未指定地域を追加するものである。

平城宮跡

ページトップへ