元禄年間、柳川藩立花家下屋敷の経営に伴って作庭されたが、明治10年代から44年にかけて庭園の改修、書院・西洋館の建設が行なわれ、松濤園と命名された。
西洋館前庭と書院南庭とから成るが、前庭はソテツ山を配する平庭である。書院南庭は東西に長い大池を中心に構成され中央部北と南に出島があり、東部、西部に中島を置き、他に7個の小島と100近い岩島を池中に散在させてある。東岸を除き化粧石を敷きつめた洲浜をめぐらす。添景として石燈籠を岩島、池辺にほどよく配置する。池水は堀割の水を引き入れる。池のまわりには飛石や多数の庭石を配し、低いクロマツのみ植栽した意匠は特異であり、明治期としては出色の作庭である。
立花氏庭園は,「御花畠」と呼ばれた江戸中期の柳川藩主立花家の別邸を前身として主に明治末期に造られた立花家の邸宅の庭園。近世の池泉回遊式庭園を改修して敷地の東半に営まれた奥向きの庭園,及び「家政局」の建物を含む区域を追加指定し,邸宅の全域を保護する。