今山遺跡 いまやまいせき

史跡

  • 福岡県
  • 福岡市西区横浜
  • 指定年月日:19931112
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

今山は福岡市の西北部に位置し、博多湾岸の糸島平野に独立する標高82メートルの小丘陵である。本来この丘陵は南北500メートル、東西300メートルほどの大きさであったが、北半分は削平され現在は宅地となっている。
 大正時代の初めに中山平次郎は、福岡県内に分布する弥生時代の玄武岩製磨製石斧に注目し、この原石が限定された産地を持つこと、集落内には製作した痕跡が認められないことなどから、かつてこの地域に石斧製作専業集団が存在して各地へ製品を供給していたと予測した。ついに大正12年に中山は今山を発見し、粗く打ち欠いた石斧未製品が多く、土器片は出土しないことなどから、ここが原石採取所と粗加工の石斧製作跡であることを確認した。あわせて採集品から石斧の製作工程も復元された。
 その後、今山の知名度が高まるに従い各地の愛好家が採集に訪れ、表面で石斧が拾えないような状況となっていた。ようやく昭和43年、個人住宅の増築に伴って石斧未製品が多量に出土したことが契機となり、遺跡全体の規模や内容の確認を目的として福岡市教育委員会が発掘・分布調査・測量を実施した。さらに昭和47・51・54・59年にも調査を追加し、以下のような遺跡の概要を把握した。
 遺跡は、山頂の玄武岩露頭付近および南斜面中腹にある熊野神社西方域を頂点とした南・東南側の中腹斜面や山麓、さらに西側山麓にも広範に残されている。山頂・山腹の遺物密集地域では玄武岩の転礫層中に〓片(*1)・破片が多量に混在し、石斧未製品・敲石もしばしば出土する厚い包含層を形成することが多い。そして、特に標高5メートル前後の山麓端にある緩斜面には、加えて敲打段階で破損した未製品が多いという。またこの地域では土器片も出土しているので、ここでは日常生活の傍で敲打仕上げまでの石斧製作が行われていたことを窺わせる。
 製作された太型蛤刃石斧は、長さ20センチメートル前後、幅8センチメートル前後、厚さ5センチメートル前後、重量1キログラム以上の法量をもち定形化されたものである。ただし、地点によって角礫・風化円礫など原石の産出状況が違うので、製作工程・製品の大きさ、形態などに若干の差がある。また今山では敲打仕上げまでしか行われていないことも明らかになった。
 これら石斧の製作は、弥生時代初頭には始まっているが、中期になって飛躍的に増大すると推定され、集落における消費の時期的様相と符合することとなる。製品は理化学的方法、技術形態学的方法による資料吟味の余地を残すが、福岡県を中心に佐賀県、そして遠くは大分県日田地方、熊本県の宇土半島まで分布しているといわれ、石斧の80〜90パーセントを今山産が独占するほどの遺跡もあった。
 なお、今山と入江を隔てた北・北西方の2〜3キロメートルに位置する今津貝塚・長浜貝塚・呑山遺跡でも小規模な玄武岩製石斧の製作が行われているが、集落内消費に留っていると考えられる。
 すなわち、今山遺跡での石斧製作は原石産地で専業的に行われたものであり、一方では集落間を結びつける供給システムも整備されつつあったことを示している。その背景には弥生時代中期における集落数の拡大、耕地の開発・開拓に伴う石斧需要の増大が推定される。したがって当遺跡は、弥生時代における分業・専業化の程度や、社会組織の実態などを考察する上できわめて重要である。よってここに史跡に指定し、その保存を図ろうとするものである。

今山遺跡

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