北海道南西部に延びる渡島半島の東岸に位置する南茅部町には,海産資源豊かな内浦湾沿いに低位海岸段丘が発達し,背後に迫った亀田山塊からはサケが遡上する多くの短い河川が湾に流れ込んでいる。これら河川の河口付近の海岸段丘上には,多くの縄文時代遺跡が点在し,特に縄文時代中期には5カ所の大規模な遺跡が海岸に沿って並んでいる。大船遺跡は,これら中期の遺跡群のもっとも北に位置し,大船川左岸の標高45m前後の広い段丘上に形成された集落跡である。
平成8年に南茅部町教育委員会によって町営の墓地造成に伴って事前の発掘調査を実施し,大規模な集落跡として重要性が認識されたため現状保存されることとなった。その後,町教育委員会が遺跡の範囲・性格を確認するために,平成9年度~12年度まで継続調査を実施してきた。
本遺跡は,南西から北東側の海に向って延びる台地上に位置し,縄文時代中期の初頭から終末まで営まれた。遺跡の南東側には百棟以上の竪穴住居跡からなる住居域と多量の遺物や土などの捨て場である「盛り土遺構」があり,その南西に隣接した山側には土坑群が確認されている。また,遺跡の北西側には落し穴と遺物が分布している。竪穴住居跡は平面が楕円形で,床を深く掘り込んだ大型のものが多く,炉の付近や住居跡の長軸方向の壁際に祭祀に係わると考えられている特殊な小土坑をもつ。
出土遺物には,多量の石皿・スリ石や土器などの日用道具,石棒やネフライト製のペンダントなどの他,クジラ・オットセイ・マグロ・タラ類などの動物遺体やヒエ・マタタビ・キハダ・ウルシ・ブドウ・クリ・クルミなどの植物遺体も検出されている。
本遺跡は北海道南部に営まれた縄文時代中期の大規模集落跡であり,この地域における当時の生活や生業などを知る上できわめて重要である。よって史跡に指定して保護を図ろうとするものである。