妙義神社は妙義山の主峰白雲山の東山麓にあって、日本武尊を祀る。江戸時代には幕府の保護を受け、また、神宮寺は上野寛永寺の支配下にあった。
本殿、幣殿、拝殿は権現造、唐門は一間平唐門で、いずれも随所に彫刻を付け、全面に漆塗、彩色を施した華麗な建物である。大工、彫物師、塗師など工匠は大半が江戸から来ており、北関東に多いこの種の遺構の中でも特に優れたものの一つである。拝殿の繋虹梁を丸彫りの竜とし、本殿の尾垂木を雲形とするなど、一部の構造材が彫刻化しているのは、同種の遺構の中では早い例といえる。日光の建築を考える上にも重要な意義をもつ。
総門は古式な三棟造の構造を残しながら、建ちが高くて屋根が大きいプロポーションや細部の意匠は時代相応であり、江戸時代後期の八脚門の代表的な遺構である。