建造物 城郭建築 / 安土・桃山
姫山に設けられた赤松氏の居城にはじまると伝え,その後豊臣秀吉の中国攻めの拠点となり,次いで慶長五年(1600)に関ヶ原の戦いの功により城主となった池田輝政により増築を含む根本的な整備が行われ,慶長十四年末には概ね完成したと考えられる。大天守は外観五重,内部七階で,三基の小天守と渡櫓で繋がれて連立天守郭を構成する。我国の城郭建築最盛期を代表するものとして重要であり,白漆喰塗りの城壁の美しさから白鷺城の名で呼ばれている。
全3枚中 3枚表示
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (ロの渡櫓)
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (イの渡櫓)
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (ハの渡櫓)