筆者狩野秀頼は、狩野元信の二男あるいは孫ともいわれるが、国宝高雄観楓図の作者として著名で、遺品から永禄・天正年間(一五五八~一五九一)に活躍したことが知られる。
本図は、款記から永禄十二年秀頼が治部少輔を称していた頃の作で、それぞれ神馬の動熊の一瞬を正確にとらえており、祖元信の神馬図二面(重文・室津賀茂神社)と山楽の神馬図(妙法院所蔵 慶長十九年・一六一四、海津天神社所蔵 寛永二年・一六二五)の間をつなぐ室町時代の絵馬の代表作としてまた筆者と製作年代の明らかな初期狩野派の基準的作例として資料的にもその価値は高い。