わが国における切刃造の大刀は七世紀から八世紀末にかけて流行した。正倉院に伝わる大刀・刀五五口のうち、切刃造は二六口に及んでおり、奈良には特に切刃造が流行したことがうかがえる。
これは切刃造、丸棟、鰤鋒【かますきつさき】の大刀で、僅かに内反りがついている。鍛えは大板目に杢目【もくめ】交じり、棟寄りと切刃部は柾【まさ】に流れ、総体に約【つ】み、地沸つき、地斑【じふ】交じり、地景【ちけい】入る。刃文は中直刃に小乱交じり、砂流かかり、佩裏【はきうら】の腰元に飛焼入り、総体に小沸よくつき、匂口深い。元を大きく焼落とす。帽子は、表は浅くのたれ、裏は直ぐ、共に先小丸【さきこまる】ごころに焼詰める。茎【なかご】は生【う】ぶ、先栗尻【さきくりじり】、鑢目【やすりめ】不詳、茎尻に手抜緒孔一個を穿つ。
伝世の大刀の中でも鍛えがよく、刃文も直刃が良く入っており、また保存状態も良い。数少ない伝世の上古刀として貴重である。なお、この大刀には当初のものと思われる鉄〓【てつはばき】が付いている。