紙本墨画日新除魔図(葛飾北斎筆/)

絵画 / 江戸

  • 葛飾北斎
  • 福岡県
  • 江戸
  • 219枚
  • 福岡県太宰府市石坂4-7-2
  • 重文指定年月日:20030529
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 独立行政法人国立文化財機構
  • 国宝・重要文化財(美術品)

 北斎(一七六〇~一八四九)の作品は従来、絹本著色潮干狩図(大阪市、平成九年六月三十日指定)、絹本著色二美人図(世界救世教、平成十三年六月二十二指定)の二点が重要文化財に指定されている。これらはいずれも注文制作らしく、美しく整えられた出来栄えを見せる優品である。これに対して、日新除魔図は注文制作でも画稿でもなく私的な作画である点で、他と区別される珍しい作例である。
 多作で知られる北斎には、版画はいうに及ばず、肉筆画も多く遺存しているが、国内には画稿類はさほど多くは知られていない。いわんや一つの主題をかくも多様かつ継続的に描き続けた例は他に見出し難い。
 本図は北斎八四歳の天保十三年(一八四二)から翌十四年ころにかけて、毎朝日課として描かれたもので、さまざまな姿態の獅子を伸び伸びとした筆致で描いた約一八〇枚の獅子図と、約四〇枚の獅子舞などの人物図からなる。
 本画帖に綴じ込まれていた北斎の自序、宮本仲氏によって「先考遺墨」と題された、父・宮本慎助氏の記録、仲氏による画帖跋文によれば、北斎は弘化四年(一八四七)に本図を慎助氏に与えている。当初の形態は北斎の自序に毎朝描き捨てたというように、綴じられてはいなかったと思われるが、「先考遺墨」によればこれを得た宮本慎助氏が仮綴じとした段階があり、画帖跋文には仲氏の時代に画帖装としたことが記されている。
 画帖装となる前に若干散逸したものがあるようだが、明治三十九年(一九〇六)に紹介された時点で二一九枚がまとまって宮本家に襲蔵されていた。注文制作に供する目的ではないため通常は保存しないはずのものが散逸を免れ、二〇〇枚を超える数量で一括されて今日まで伝えられたことはまことに希有な事例であるといえよう。
 とりわけ、北斎という類い希な構想力と筆力をもって大量の作画をこなした絵師の作が連作として遺存していることは、これからの北斎研究にとって非常に重要である。
 獅子の表現の驚くべき多様さには北斎の創造力の発露に直接触れる感があり、完成画では抑制されてしまう躍動的で奔放な運筆がそのまま残されているのも貴重である。興が乗ったかとみられる意欲的な図には、本制作にも劣らない密度の表現が達成されている。また、日付が意匠化されて図様と呼応しているものも見受けられる。
 本来は一部の図に書されたように「皆疾災滅」を祈って描かれ始めたのであろう。日課地蔵図・天神図といった例は中世以来ほかにも知られており、本図もはじめは主として宗教的な意味合いの作画であったと思われる。ところが、個々の獅子図を見ていくと、姿態だけではなく、表情もそれぞれ異なっており、雨に濡れてぐったりと意気消沈したもの、あるいは胸を張って力強く上方を睨むものなどには、そのときの画家の気分をうかがうことができる。なかには、短く台詞が書き込まれ、擬人化されたものもある。「欲を捨てたる我は楽しし」という十二月二十五日付の獅子図の墨書は北斎その人の言葉ととって差し支えない。
 これらのように、画家の感情が直接的にあらわれているところに近代的な自我の表現の萌芽を見ることも可能であろう。
 本図は北斎の豊かな創造力のあふれ出るさまをそのまま紙上にとどめた貴重な証左として一括して保存されるべきものである。

紙本墨画日新除魔図(葛飾北斎筆/)

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