鷹見泉石関係資料 たかみせんせきかんけいしりょう

歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸

  • 茨城県
  • 江戸
  • 3151点
  • 古河歴史博物館 茨城県古河市中央町3-10-56
  • 重文指定年月日:20040608
    国宝指定年月日:
    登録年月日:
  • 古河市
  • 国宝・重要文化財(美術品)

下総国古河【こが】藩家老鷹見泉石(一七八五~一八五八)の洋学、地理学をはじめとする科学技術などに関する幅広い学問の事跡と譜代大名家の家老としての情報収集のあり方を示す資料群である。
 泉石は、名は忠常【ただつね】、通称十郎左衛門、字は伯直【はくちょく】、泉石の他に楓所【ふうしょ】、可琴軒【かきんけん】、泰西堂【たいせいどう】と号した。ヤン・ヘンドリック・ダップル(Jan Hendrik Daper)という蘭名とValkも署名に用いている。古河藩士の家に生まれ、寛政八年(一七九六)一二歳で江戸詰となり藩主に近侍、天保二年(一八三一)には四七歳で家老職に就いた。譜代大名として寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中など幕府要職を歴任した土井利厚【としあつ】、土井利位【としつら】に近侍しこれを補佐している。
 土井家の重臣という立場もあり、対外危機意識の高まりを背景に、泉石は早くから海外事情に関心をもち、天文、暦数、地理、歴史、兵学など幅広く国内外から文物の収集に努めた。また、渡辺崋山、桂川甫周などの蘭学者や箕作省吾【みつくりしょうご】などの地理学者、川路聖謨【かわじとしあきら】、江川太郎左衛門などの幕府役人、谷文晁【ぶんちょう】、司馬江漢ら画家、中山作三郎、潁川君平【えがわくんべい】、足立左内ら和蘭通詞、唐通事、天文方、スチュルレル(Johan Willem de Sturler)らオランダ商館長、大黒屋光太夫【こうだゆう】などの海外渡航者、砲術家高島秋帆【しゆうはん】など、当時の政治、文化、外交の中枢にある人びとと広く交流をもった。泉石の学問・資料収集はこうした人びととの交流に裏づけられている。
 鷹見泉石関係資料は、鷹見家に伝来した資料群のうち泉石の職務および学問的関心から作成・収集された資料で、文書・記録類、絵図・地図類、書籍類、書状類、絵画・器物類に大別される。
 文書・記録類は、一〇〇冊を超える泉石自筆の日記やペリー来航に際し開国通商などの必要性を説き泉石の先見性を示す上書草稿『愚意』などからなる。また将軍の日光社参関係資料やオランダの里程表に学んで泉石が刊行した『日光駅路里数之表』なども含む。
 絵図・地図類は、泉石の書写になる国絵図や古河藩の村絵図、城郭図、寺社境内図、日本全図、海外図等からなる。泉石の代表作『新訳和蘭国全図』や『蝦夷地北蝦夷地図』を含み、対外危機意識と近藤重蔵【じゆうぞう】との密接な関係を反映した北方地域の絵図・地図類の多さが特徴である。これらはまた、泉石の高い製図、書写の技術を示す。
 書籍類は泉石の書写、手沢の和漢書、洋書で、語学の教科書や『新訳和蘭国全図』作成の参考資料とした地図帳など、語学、地理、歴史、地誌、測量、兵学といった実学書が多い。
 書状類は、藩主や藩の同役はもとより、幕府役人、和蘭通詞、唐通事、長崎奉行、蘭学者、文人らからの来翰も多く、泉石の幅広い交流を示す。日記とともに近世史研究に益するところは大きい。
 絵画・器物類は、泉石所用の測量・製図器具類や語学学習に用いた「オランダ語初歩教材文字板」、「彩色鉛兵隊人形」などの舶載の品々、大黒屋光太夫がロシア語により「鶴」等を揮毫した扁額、原羊遊斎【ようゆうさい】作の「雪華文蒔絵印籠」などからなる。日記や書状等によってその入手を跡づけることが可能なものがあり、その資料的価値を高めている。
 本資料は、明治三十九年(一九〇六)東京帝室博物館において開催された「嘉永以前西洋輸入品及び参考品」の特別展観に出陳されたことによって、学術的価値の高さが注目されることとなった。その後、平成元年からの国庫補助事業調査によりその全容が明らかとなり、鷹見家において大きな散逸なく伝来した資料群は、平成七年および同十四年に古河市に寄贈され、古河歴史博物館において広く公開に供されている。
 泉石が永年にわたって収集した知識や文物は、渡辺崋山、川路聖謨をはじめ多くの人物の求めるところであり、幕政にあたる藩主の職務に貢献したことはもとより、洋学界にも寄与した。本資料の総体は幕末の政治、外交、文化の中枢の動きを伝える資料群として貴重である。

鷹見泉石関係資料

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