曽谷貝塚 そやかいづか

史跡 / 縄文

  • 千葉県
  • 縄文時代中期後半から後期後半
  • 市川市曽谷二丁目
  • 指定年月日:19791222
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

 曽谷貝塚は、千葉県北部地域に広がる下総台地の西南縁部に位置する。市川付近の台地は、南北方向の谷によって東西に3分されており、西から国分台、曽谷台、柏井台と呼ばれ、それぞれの台地には数多くの貝塚が分布している。曽谷貝塚は、この中の曽谷台に位置し、大規模な馬蹄形貝塚として、近くの堀之内貝塚や姥山貝塚と共に、早くから全国的に著名なものとなっている。
 本貝塚は、明治末頃の高橋百太郎氏らによる発掘以来、しばしば調査の手が加えられた。その中で、昭和34年の明治大学による発掘と地形測量、昭和49年から53年にわたる市川市教育委員会による継続的な発掘調査は、本貝塚の概要を明らかにするものであった。
 本貝塚は、標高22~25メートルの台地上の窪地の周囲に形成されており、東西210メートル・南北240メートルの規模で、北の谷側を開口部とする馬蹄形をなしている。ただ、貝層は一連でなく、東側に2つ、西側に1つの貝層ブロックが独立的に存在している。この地に、裾野にあたる周辺部に小貝塚ブロックが点在しており、集落としての大きな広がりが予想される。竪穴住居は、窪地周囲の土手状の高まりの頂部から外側にかけて設けられ、貯蔵穴と推定されるピットは高まり頂部から少し入ったところに多く設けられている。埋葬人骨も特に集中することなく、高まりの頂上付近で点々と発見されている。中央の窪地は未調査であるが顕著な遺構はなく、広場であったと推定される。調査によって発見された遺物は、繩文時代早期後半のものから晩期初頭のものまで、断続的にみられるが、竪穴住居を中心とする遺構は、前期から後期にかけてのものに限られており、その中でも顕著なものは質量ともに後期に集中している。したがって、本遺構の住居や貝塚形成の中心は、繩文時代後期にあるといえる。
 曽谷貝塚は、全国でも稀にみる大きな規模を有し、遺跡の残存状況も良好であって、学術上きわめて高い価値を有するものである。

曽谷貝塚 そやかいづか

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