西の内紙は、地元の茨城県産の良質の那須楮を原料とし、ソーダ灰による煮熟、手打ちによる叩解【こうかい】、抄紙【しようし】、乾燥等の各工程においてきわめて入念な作業が行なわれる。そのため紙質は強靱であるとともに楮繊維の光沢、色彩の特色がよく発揮され、雅味のある美しさを保持している。
水戸藩時代から西の内紙は別格扱いに貴重なものと高く評価されていた。明治三十四年、内務省が選挙用紙や選挙人名簿に程村紙とともに西の内紙を定めたのが機縁となって全国的に知られるようになった(大正十五年解除)。昭和十七年、戦時下の困難な状況下において、菊池五介氏は茨城県和紙統制組合長として、和紙の保存に尽力した。戦後も昭和二十五年ごろまでは和紙の需要も多く活気があったが、現在は需要が減少し、三戸となっている。