福島県中通り地方の北部に位置し、阿武隈川を臨む標高約195mの舌状台地の先端部に立地する。多数の竪穴住居、掘立柱建物、埋甕、土坑などの遺構を確認した。集落は縄文時代中期末葉に最盛期となり、中央広場と考えられる空閑地に接して外側に掘立柱建物、さらにその外帯に住居群が巡る構造となっている環状集落である。土坑の多くは貯蔵穴で竪穴住居の分布域の外側では群集する傾向がある。中央広場に散見する土坑は墓の可能性がある。出土遺物では、人体文土器や狩猟文土器をはじめ、数多くの土器、石器、骨角器、動植物遺存体などがある。また、黒曜石やヒスイ、海洋性の魚骨類、関東地方・北陸地方・中部地方の影響を受けた土器が出土していることから、広く遠隔地との交流が認められる。本遺跡は東北地方南部を代表する拠点的な環状集落であり、縄文時代の集落構造や精神生活、生業など縄文社会を知る上で重要である。