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久我家文書は、村上源氏の嫡流久我家に伝来し、現在は国学院大学図書館所蔵になる二千四百六十一通の古文書群で、九条家文書(宮内庁書陵部蔵)と並ぶわが国の代表的公家文書として知られている。
久我家は村上源氏、右大臣顕房の子雅実を祖とし、久我水閣の別業に因み久我氏を称した。雅実の子雅道が源氏長者として淳和、奨学両院別当を兼ねるに及び、その他位は久我家の正嫡にうけつがれ、五摂家につぐ清華家の第一として繁栄した。室町時代に入ると足利義満によって両院別当氏長者を奮われたが、近世は当道座の本所としての地位を確立し、幕末の公武合体派の中心人物となった建通を経て、通久の時に明治維新を迎えている。
本文書は、かかる久我家の歴史を反映して、その内容は多岐にわたるが、大別して中世の家領文書、近世公家文書、当道(盲目)座関係文書の三群に分けられる。中心を占める家領文書は千百通余を数え、中院流家領目録案(鎌倉時代後期写)によれば、平安時代後期の中院流村上源氏の所領は二十八ヶ国七十一ヶ所に及んでおり、その多くが本家職が皇室にあり、久我家が領家職を所有する点は注目される。鎌倉時代後期には池大納言家領の七庄が姻戚関係から久我家領に編入されるが、池大納言家領相伝文書案等は女性を通じた中世公家所領の相承のあり方を示し、観応元年(一三五〇)八月十三日久我長通譲状は、南北朝時代における久我家領の規模を伝えている。さらに応永三年(一三九六)久我本庄検注帳等は、久我家が直務支配を行った膝下根本所領の内部構造を明らかにしている。
この他、久我家が所有した内蔵寮の御服所率分や立売課役などの座本所の権益に係わる文書がまとまっている。
近世の文書は、綸旨、女房奉書、口宣案、御内書等に類別されるが、このうちの口宣案は端裏、上卿銘のないいわゆる口宣で、口宣案発給の過程を考える上に注目される史料である。
当道座関係文書は、久我家の当道座の管領を安堵した天文三年(一五三四)十一月十六日後奈良天皇綸旨を上限として約二百五十通を数え、これらの中には寛文十一年(一六七一)三月五日検校座中式目など近世芸能史研究上に貴重な史料も少なくない。