『長講堂領目録』は、皇室領庄園の中で最大の規模をもつ長講堂領の目録で、平安時代以来の実務官人であった島田家に伝来したものである。
長講堂は、後白河法皇(一一二七-九二年)が晩年の御所として建立した六条殿の中の持仏堂で、法華長講弥陀三昧堂と称される。建久二年(一一九一)十月、後白河法皇は多年領掌してきた九〇か所に及ぶ厖大な庄園を寄進した。長講堂領は、これらの庄園群の総称で、建久三年三月の後白河法皇崩御後、長講堂の堂宇ともに後白河法皇の皇女である宣陽門院【せんようもんいん】に譲与された。その後、承久の乱を経て、さらに後深草天皇以下に相続され、持明院統の有力な経済的基盤となった。
本目録の体裁は、巻子装で現状上下二巻からなる。楮紙打紙に墨横罫を施した料紙を用いている。本文は、五畿七道の順番に、各庄園名、課役の品目や数量などを詳細に書き上げている。目録の末尾には不所課の諸庄園がまとめて記され、最後に「建久二年十月 日注進之」とあるが、筆跡などよりみて、鎌倉時代中期の書写になると考えられる。
その記載によれば、長講堂で行われていた年中行事の様子がうかがわれるとともに、当時の長講堂領における課役のあり方が具体的に明らかになる。文中、各庄園名や課役名のそれぞれ右肩に付された朱墨の合点や注記は、各庄園の負担の実状を示している。
また形態上、一時折本装に改装され、喉の部分に紐を通していた跡がみられることは、本目録が長講堂領の管理台帳として実際に使用されていたことを示して注目される。
附の長講堂領年貢注文断簡は、一紙のみであるが、遠江国山香庄より美濃国蜂屋南庄までを収めている。その記載内容などからみて、鎌倉時代中期の作成になると考えられるもので、長講堂領の年貢品目および領家【りょうけ】の変遷などがうかがえる。
本目録は、皇室領を構成するなかで最大の所領である長講堂領の実態を伝え、皇室領経済史の研究のみならず、庄園制度史の基本史料として、中世史研究上に価値が高い。