小牧野遺跡 こまきのいせき

史跡

  • 青森県
  • 青森市大字野沢
  • 指定年月日:19950317
    管理団体名:青森市(平8・11・13)
  • 史跡名勝天然記念物

 小牧野遺跡は、八甲田連峰から北に伸びた細長い低丘陵の先端部に位置し、北方10キロメートルあまりには青森市街、さらに陸奥湾が低く広がっている。遺跡は、基盤を八甲田火砕流、月見野火山灰などが覆った標高約145メートルの平坦地上にあり、東は急崖となって約50メートル下には荒川、西には入内川が流れている。
 平成元年、かねてより環状列石の存在を予測していた青森山田高校の葛西励らがその実態解明を目的に発掘調査した。その結果、縄文時代後期前半に構築された環状列石の西半を確認した。翌年からは青森市教育委員会が、遺跡の範囲・性格などを確認するための調査を引き継いだ。
 環状列石のある台地は、西から東に緩く傾斜している。西の高い方を削って内側に湾曲する低く緩い崖面を作り、削り取った土を東の低い方に盛って、中央に円形の平坦地をもつ地形を造成した。中央の平坦地を固く踏み固め、その中央に長さ約1・5メートルの石を置き、周囲に石を径約3メートルの環状に配した。中央の平坦地からは、ほとんど遺物は発見されていない。ここを取り巻くやや高い部分に東西と南がやや張り出す円形に二重の列石を巡らした。外帯は径約35メートル、内帯は径約29メートルにも及ぶ。この列石の南と北には、径約2メートルの円形に密集した配石や径約4メートルから6メートルの環状配石を数基ずつ築いている。列石は、東下方に向いた西側内面に細長い大きな石を縦に、その間に扁平な石を石垣状に3個から6個高く積み重ねている。西も東下方に面した外側を比較的丁寧に築いている。外帯と内帯の間には、赤色顔料で塗られた十腰内Ⅰ式土器に特有な甕棺用土器を、北、西、東の3か所に各1個体埋設していた。また、角状あるいは髭状と称される直線的な列石が、外帯の南から10メートルあまり、東と西側から8メートルほど外に向かって延びる。列石・配石に用いた石は、径60センチメートルほどの円礫あるいは亜円礫であり、石質は8割以上が安山岩で小数の石英安山岩をまじえる。約2,000個ほどを遺跡の東を流れる荒川から運搬した。
環状列石の外、北から東には堀立柱建物群があり、やや間を置いてその外に土壙墓群を弧状に配している。一方、西には、土杭が分布している。この区域からは深鉢形土器、浅鉢形土器、台付鉢形土器、壷形土器、注口土器などの多量の十腰内Ⅰ式土器を発見し、赤色顔料を塗布しているものも多い。また、石鏃、石槍、石錐、磨製石斧などの石器と、ほかに土偶、鐸形土製品、三角形岩版、ミニアチュア土器など、祭祀に関連するとされる遺物も目立つ。環状列石の周囲からは竪穴住居が確認されていない。一方、周辺には縄文時代の遺跡が散在するが、本遺跡との関連は不明である。なお、環状列石の南の外方からは続縄文時代の配石と土器・石器などが出土し、これまで本州側では断片的にしか把握されていなかった続縄文時代の良好な資料を得た。
本遺跡は、特徴的な形態をもった縄文時代後期前半の環状列石を中心としており、縄文時代の精神生活や社会構造を考える上でも、大規模な土地の造成や多量な大形の石の運搬・設置などの土木工事の実態などを正しく知る上でもきわめて重要である。よって史跡に指定し、その保存を図ろうとするものである。

小牧野遺跡

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