白沙村荘庭園 はくさそんそうていえん

名勝

  • 京都府
  • 京都市左京区南禅寺
  • 指定年月日:20030827
    管理団体名:
  • 史跡名勝天然記念物

白沙村荘庭園は、大正から昭和初期にかけて京都を中心に活躍した日本画家、橋本関雪(1883〜1945)により築造された庭園で、慈照寺(銀閣寺)からの参道を下った西方約400m、琵琶湖疏水分線の南側に位置する。関雪は、もと水田地であった敷地を盛土造成して、大正5年(1916)に本邸を造営し、白沙村荘と名付けた。庭園は、関雪がこの本邸東側の園池を築造したのを作庭のはじめとし、その後も、順次、西側、南側に敷地を拡張して作庭するとともに、昭和20年(1945)に没するまで30年間にわたり、継続的に手を加えて造り上げたものである。
庭園の全体は、敷地中央部分を南北に連なる主屋「瑞米室」、画室「存古楼」及び庭園内の小門「夕佳門」を境として、大きく東西2つの地割で構成される。
東側の地割には、北から築山、流れ及び園池を設ける。園池は大池とその南の池とからなり、その間を狭い浅瀬で繋ぐ。スギ、ヒノキなどを植栽した築山の南東に設けた東向き正面の表門からは、流れを石橋で渡り主屋の玄関に至る。主屋南側の一段下がった地盤に建てた「存古楼」の2階からは東山の山並みを眺め、1階の画室からは如意ヶ嶽の大文字を大池に写して観賞するような構成としている。南の池の西岸には沢飛石や手水鉢とともに「倚翠亭」を設け、棟続きとした茶室「憩寂庵」周辺には露地風の造園を施している。東岸には、池に張り出して「問魚亭」(原名称は「如舫亭」)を設け、あたかも水に浮かぶ舟の上から対岸の「憩寂庵」と「倚翠亭」を望むような構成としている。大池の周辺にはアカマツ、イロハモミジ、南の池の周辺にはアラカシ、アセビなどを配植するとともに、国東塔をはじめとして、関雪が収集した歴史的価値を有する石造物の優品を全体に配置して、散策を楽しませる効果を高めている。
西側の地割には「持仏堂」を建て、周辺にハクショウ、サルスベリなどを植栽するとともに、関雪が収集した石造物を配置して、瀟洒な回遊式庭園を構成している。「持仏堂」の西側には小池を設け、「瑞米室」と「存古楼」の間の渡り廊下を潜る石組護岸の流れにより大池と繋いでいる。北側には石組を施した「雨漏泉」を設け、暗渠により小池に給水するとともに、側方からこの流れに注ぐ滝口の水源をなす。小池の北西に位置する竹林の築山には羅漢石仏群を配し、個性ある景観を造り出している。
本庭園は、関雪自身が「庭を造ることも、画を描くことも一如不二のものであった」と述懐するように、近代の日本画家の芸術観を反映した庭園であり、保存状態もよく、観賞上の価値は極めて高い。また、歴史的価値を有する石造物を多数配置する庭園の景観構成は独特であり、造園技術上も秀逸なものとして貴重な事例であって、学術上の価値も極めて高い。よって名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。

白沙村荘庭園

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