昭和三十八年拝殿改修の際床下から発見された堂々たる木彫群である。像は欅・桂・檜などの一木造りで、表現や技法は各々異なり、製作年次も十一世紀から十二世紀にわたるが、この地で造像されたものと考えられ、北陸筋に遺る平安時代後期の丈六・半丈六の作例中でも注目される一群である。本神社の別当寺である応神寺は現在廃絶しているが、往時は十四の子院を有した大寺で、本像はおそらくこれら寺院の旧仏と考えて誤りないであろう。なお同時に発見された光背はこれら諸像のいずれに属するものかにわかに決しがたいが、十二世紀の製作になる半丈六像のそれで附【つけたり】として合わせ保存することとした。