・この史跡は斜里沿岸に広がる海岸砂丘上にあり、カシワやイタヤカエデ、トドマツなどからなる森の中におびただしい数の窪んだ住居跡が見られることにより「朱円千穴」と呼ばれ親しまれてきました。・住居跡の形態から、この砂丘には数千年にわたる縄文文化中期から続縄文文化期、それに続く擦文・オホーツク文化期の様々な人々が住み続けたと考えられています。・竪穴住居跡群には竪穴住居が700軒以上あることが確認されていますが、現在測量調査を終えているのは300軒余りです。
シブノツナイ竪穴住居跡
オムサロ台地竪穴群
興部豊野竪穴住居跡