北海道大学農学部第二農場は、明治四十二年から四十五年にかけて現在地につくられたもので、北海道酪農の模範農場として、指導者の養成・農業技術の向上に寄与した面は、酪農発達史上重要な位置を占める。第二農場を構成する木造、石造、煉瓦造の諸建築は、明治末期の建築として評価されるだけでなく、そのたたずまいは景観的にも著名である。これら農場建築のうち、産室・追込所及び耕馬舎、種牛舎や穀物庫は、明治十年建設の札幌農学校模範家畜房(モデルバーン)および玉蜀黍庫(コーンバーン)を移築したもので、改造されたがクラークの計画によって米人教師が設計した当初のおもかげをなお残しており、札幌農学校の由緒を伝えるものとして貴重なものである。