本願寺書院(対面所及び白書院) 一棟
本願寺(西本願寺)が現在の地に創築されたのは天正十九年(一五九一)であるが、元和三年(一六一七)焼失したので、翌四年に建築されたのがこの書院である。その後、寛永十年(一六三三)に位置を西へ移し方向を九十度回転するなどの改造を行った。
書院は南側の対面所と北側の白書院とに大別される。対面所は百六十二畳の広大な部屋で、その北側に三十七畳半の上段があり、床及び帳台構を設ける。上段の東にはさらに棚及び書院を付した上々段がつづいている。対面所の西側は雀之間、雁之間、菊之間などの小部屋に分かれている。白書院の主室は二十四畳の紫明之間で、そのうち東側十畳を上段とし、床、棚、書院、帳台構の制がある。紫明之間の東側上段の床裏には装束之間とよぶ六畳(床、棚付)がある。対面所と白書院中之間には納戸二室があり、さらにこの対面所と白書院の周囲には東西北三面に狭屋之間(入側)がめぐり、南面及び装束之間の東面は板敷の広縁となっていて、南北は能舞台(国宝及び重文)、東は庭園に面している。屋根は大棟を南北とした入母屋造である。
この書院の様式は、桃山時代に大成された大広間の形式をよく表しており、障壁画、欄間彫刻など、豪華豊麗な意匠などとともに最も大規模な書院造の一つの遺構ということができる。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)