歴史資料/書跡・典籍/古文書 その他 / 鎌倉 南北朝 室町 安土・桃山
近江高島郡朽木庄の地頭であった朽木家に伝来した文書で、承久三年(一二二一)八月二十五日北条義時下文を上限として南北朝、室町時代を中心に桃山時代に至る一〇六六通を存し、将軍家御教書、室町幕府奉行人奉書や近江国守護佐々木氏の書状をはじめ、土地売券などがまとまっている。
鎌倉時代、朽木氏は義綱を中心に諸国の所領を獲得しており、文書には朽木氏の所領支配に関するものも多く存している。なかでも経氏は、池大納言頼盛の七代河内次郎顕盛の猶子となって丹後国倉橋郷内余保呂村地頭職等を与えられており、元徳二年(一三三〇)九月二十二日平顕盛譲状など本文書中の鎌倉時代の多くはこのときに伝わったものである。
室町時代の文書のうち、長禄四年(一四六〇)十二月十四日足利義政袖判御教書および応仁元年(一四六七)十二月二十七日室町幕府奉行人連署奉書案によれば、この間、朽木庄は幕府料所となっており、朽木氏が奉公衆として将軍に直属していたことがうかがえる。この他、文明十年(一四七八)正月二十八日、朽木庄内針畑の下司、公文が出した被官契約の起請文や、天文二十一年(一五五二)の冬御給分帳の記載内容等からは、戦国期における朽木氏の家臣団のあり方が知られる。また文書中に二〇〇通余りを数える土地売券は、そのほとんどが十五世紀に集中しているが、これらの文書は朽木氏が出挙、利銭等によって領主経営を行い、土地集積を進めていた実態を示すものとして注目される。
以上のように本文書は、畿内周辺の典型的な地頭領主である朽木氏が国人領主として発展していく過程を示す文書群であり、中世史研究上に価値が高い。