公文録は、明治時代初期の新政府の基本的な諸政策等についての原議書類などを収録した公文原簿で、近代史研究の根本史料の一つとして知られるものであり、関連する図表、索引とともに今に国立公文書館の保管に帰している。
明治6年(1873)の太政官の火災によって所管文書・記録類が灰燼に帰したことを機として、国政運営上、記録類整備の必要性等に鑑み、太政官記録課に公文科を設置して編纂したものである(なお、太政類典は、類典科で編纂された)。
第1冊の外題に「戊辰(自六月至十二月)神祇官伺」とみえるように慶応4年(1868)の6月から始まり、太政官制が廃止になる明治18年の12月末までを収録する。
各冊の法量および表紙等は必ずしも統一化されていないが、その体裁は概ね明朝綴の袋綴冊子装で、本文料紙には太政官のほか、各省や府県等の薄美濃紙の罫紙を用い、上奏書の決済用紙には鳥の子様の斐紙を使用するものもある。
各冊の巻頭には所収する件名の目次を掲げ、いずれも「太政官記録印」(一部には「内閣記録印」もある)の単郭朱方印が認められ、目次中には決済が終わった原議書類を件別、日順に整理した編纂事務担当者名を記載している。たとえば第1冊には太政官・内閣の記録編纂事務に携わった宮崎幸麿の名がみえ、太政官の内部局および外局、神祇官、民部省、内務省などの各省、開拓使・地租改正事務局、さらには東京・大阪府、佐賀・鹿児島県などの府県、官吏進退などの順次で収録する構成をとっている。
所収する各件の事項内容は、基本的には決済の年月別順に配列され、太政官が授受した各省庁、府県などからの稟請や上申進達、あるいは太政官や内閣の閣議書、上奏書などを収め、まま関連する図や書簡なども合綴しており、原議作成経緯の一端がうかがわれて興味深い。
また、この公文録と一具のものとして伝来した図表が現存している。この図表は、大きさや形状などから冊子中に合綴が不可能なことから別途に保管したもので、内容的には公文録の収録事項と関連する一体の性格を有するものである。
たとえば、図には太政官代実測図、新橋横浜間鉄道之図、横浜税関図、英国の建築家・コンドル(1852~1920)の自署を存する上野公園地内博物館建築図など、表には元老院議官会議出席並不参表、工部省会計諸表、大坂造幣寮報告表などがあっていずれも基本資料として注目され、その編纂過程、および伝来の経緯などを勘案するに索引とともに一括して保存を図ることが妥当と思量される。
この公文録は、先述した太政官の火災によって明治5年までの原本を焼失し、各省等の原議書類をもとに補配したものを含むが、近代国家形成に際し、明治新政府が実施した基本政策等にかかわる公文原簿であり、近代史研究の根本史料の一つとして、わが国の近代政治、行政、制度史研究上等に貴重である。