九州島の南方に浮かぶ種子島の南東部の海岸に面した砂丘上に所在する墓地遺跡である。昭和30年に発見され、昭和32年〜34年にかけて発掘調査が行われ、合葬を含む90基の埋葬遺構、158体の人骨、4万4千点以上の貝製品などを確認した。埋葬されたのは、弥生時代後期後半から古墳時代後期に併行する時期である。遺構としては、土坑墓、覆石墓、複数の人骨を数体ごとに再埋葬した墓がある。副葬品は豊富で、貝符・竜佩型貝製垂飾、オオツタノハ貝輪・ゴホウラ貝輪、イ
モガイ珠・ツノガイ珠といった貝玉があり重要文化財に指定されている。
南種子町教育委員会では、遺跡の構造を明らかにする発掘調査を実施し、昭和期の調査区周辺にも墓域が広がること、北へ50mの砂丘北端に別の埋葬遺構の存在を確認した。
このように広田遺跡は、弥生時代後期後半から古墳時代にかけての大規模な墓地遺跡である。覆石墓をはじめとする埋葬型式は種子島独自の墓制のあり方を知ることができる。また、各種の貝製品を伴う人骨が良好に遺存していることから、生活風習や埋葬習俗のあり方を知ることもできる。列島の弥生、古墳時代社会と南島社会の接点における社会・生活のあり方を知るだけでなく、わが国の文化形成の多様性を知るうえで重要である。