大元帥法は鎮護国家、外敵退散のため修される秘法で、承和年間(八三四~八四八)に入唐した常暁によって請来された。やがて仁寿元年(八五一)には、宮中にて後七日御修法とならぶ大法として修されるに至るなど、その盛行が窺われる。図像集には四面八臂、四臂、二臂などの例が集録されているが、本図は六面八臂像に描かれており、所謂、小栗栖像の一本である。さらに本図の場合は、四隅に守護の四天王が配された独特の画面構成をとっている。四天王の特異な像容よりみて、おそらく唐本を祖本とするものであろうが、制作年代も画風から鎌倉時代中頃を降らないものと考えられる。