写真と見紛うばかりの、木炭による極めて精緻な肖像画。像主の12代鍋島直映は明治24年(1891)3月英国へ留学し、31年12月ケンブリッジ大を卒業、32年8月に帰国した。本図裏面には「明治丗二年十月末 高木誠一謹写」と記されており、帰国直後に高木背水(誠一/1877~1943)により描かれたことがわかる。高木背水は佐賀出身の洋画家で、明治30年からは鍋島侯爵家の玄関番書生として仕えながら白馬会洋画研究所に通った。11代鍋島直大の姉である松平慈貞院の世話により明治37年には渡米し、大正2年(1913)には東京永田町鍋島邸の一隅に画室を設け背水画塾を開いた。こうした環境にあって高木は、本図のほかにも直大やその妻栄子、子女の肖像画を数多く描き、大正4年には明治天皇像も制作している。