豊臣秀吉が、文禄三年(一五九四)から同四年にかけて実施した島津氏分国検地に用いられた所謂太閤検地尺である。
この検地尺は柾目檜材を用い、表面は中央に一尺の長さに墨の目盛線を引き、その中を更に細線を以て十分割している。目盛線の両端中央にはそれぞれ「メ」印を附し、上下余白には検地奉行であった石田三成の「石田治少(花押)」の自署が据えられている。裏面には石田三成の自筆にて「此寸を以六しやく三寸を壱間ニ相さため候て/五間ニ六十間を壱たんニ可仕候也」の墨書が二行に書され、これによって寸を基準として六尺三寸を一間とし、五間に六十間を以て一反とすべきことを定めたことが判明する。この検地実施の実情については島津家文書に窺うことができるが、現存唯一の所謂太閤検地の基準尺として貴重である。